*ぽこあぽこ*日記

10年後に笑っていたいから

7年前の3月11日のこと

 

 

 

 

あしたで東日本大震災から丸7年…です。

もう7年…なのか

まだ7年…なのか

正直、わかりません。

昨日のことのように鮮明に覚えていることもあるし

慣れてしまった(これは生けないことだと思いますが)部分もあり…

良い節目だと思いましたので

7年前の3月11日のこと、びぼうろくしておこうと思います。

 

  

 

あの前とあの後の境目のことを鮮明に覚えている

 

 

その日、職場(倉庫)で仕事していました。

お天気の良い穏やかな金曜日。

退勤の15時まであともう少し

不思議なことに

この時のことを今でも鮮明に覚えているのですね。

まさにあのことが起こる前と後の境目です。

よほど落差が激しかったのでしょう。

もちろん境目とは、のちに

 

 

東日本大震災

 

 

と呼ばれることになる大地震のことです。

外へ避難したわたしの視線の先に

青空と大きく大きくぐわんぐわん揺れる電線…

 

なにこれ

なんなんだこれ

 

となりにいた一緒に働いてるオジさんの手にしがみついていました。

わりと憎たらしくて嫌いなオジさんなのにね。

そのくらい怖かったということです。

 

 

 

 

情報がないのに「津波は来ない」と言い切ったオジさんに驚く

 

 

  

震源はどこ?…震源は? 津波がくるかもしれない

 

 

揺れがおさまって我に返ったときのわたしの発した第一声です。

この時期、大地震が来ることを予想していた人は多いです。

実際のところ、東北沖で小・中規模な地震が多発していた時期だったのですよね。

太平洋沿岸が生活圏のわたしとしては

さらに

子どものころから津波に襲われる夢を見続けてきたわたしとしては

自宅で

職場で

外出中に

万が一、津波に襲われるキケンがあった時にどう動くか

一応シミュレーションしてあるつもりでした。

職場の近辺には高台などは皆無なので

津波の場合は走って10分の駅ビルへ避難しようと考えていました。

でもさ

とにかく震源がわからないと動きようがない。

すると一緒にいたオジさんが

 

 

津波なんてこないよ。だいじょうぶ

 

 

と、まるで「雨ふらないよ。だいじょうぶ」みたいなノリで言ってきて

 

 

その根拠のない自信はどこから来るのさ?

 

 

と言ってやりたくなりましたほんと。

そして思いました。

そうか、常識はこうなんだ。

震源もわからないのに「じぶんはだいじょうぶ」だと思えるんだ。

 

多数派同調バイアス…というワードを思い起こさせますね。

こういう意識は連鎖するのです。

もしかして、実際に東北で津波に流された人にも

このバイアスにかかってしまっていた方がいらっしゃるかもしれません。

非常時の判断力…生死を分ける大切な要素です。

 

 

 

 

帰宅して息子を引取りに学校へ

 

 

電車は止まってしまいました。

さぁ、どうやって帰ろう…歩くしかないのかな。2駅分。

歩いたことないけど1時間半はかかりそうだな…

わりと憎たらしくて嫌いなオジさんも

 

 

だいじょうぶ。ポコちゃんの家までなら歩いてでも帰れるよ

 

 

と言いの残しサッサと仕事に戻ってしまうし。ちっきしょーやっぱりホントに憎たらしい

けっきょく

倉庫の様子を確認しに来た会長にクルマで家まで送ってもらいましたが

その節はホントに助かりました。

会長にクルマで送ってもらい早く帰宅できたおかげで

学校にいる息子をすぐに引き取ることができたのです。

 

 

きたくしてすぐに近所のママが

中学校で子供たちが待ってるから迎えに行こう!

と誘ってくれたのですが

今思えばその辺の記憶がけっこう曖昧で

当時学校はどのような連絡方法で子どもたちの引取りを

保護者たちに伝達したのか

例えば迎えに行くことのできない親の子供はどうなったのか

そもそも

中学生を親が引取りに行く必要があるのか

むしろ状況によってはしばらく学校に避難していた方が安全なんじゃ?

など

思い出そうとすると、いろんな???でアタマがいっぱいになります。

 

とにかく 

滅多にない大きな地震に先生たちも混乱し慌てていたらしく

体育館(2F)から生徒たちの荷物をポンポン投げ捨ててしまい

子どもたちの荷物や制服が一時行方不明になったとのこと(息子談)です。

 

 

 

 

あのときの空の怖さを忘れることができない

 

 

息子たちと帰宅するときに見上げた空の不気味さが今でも忘れられません。

あんなに怖い空をみたのは初めてでした。

それは

地震が起きる前のあの穏やかな青空とはまったく別モノでした。

 

 

この時のわたしは、おなじ時に東北で何が起こっていたのかを知る由もありません…

 

 

このときに相当な負の感情を抱いたのは

わりと人間としての本能だったのかもしれません。

 

 

夫はその日たまたまクルマで通勤していたので

仕事場の仲間を4人家まで送ったあとに帰宅しました。

ずいぶん遅い時間でしたが、無事に帰宅できてホっとしたのを覚えています。

 

 

 

 

記憶は少しずつ薄れてゆくものなのかもしれない

 

 

改めて当時のことを書き留めておこうと思ったのですが

やはりところどころ細かい部分が曖昧になっていることに気付きます。

当時、ニッポン列島が受けたショックは相当なものであったハズですが

少しずつ少しずつ風化してゆくものなのでしょうか。

 

計画停電で真っ暗になった部屋でツイッターしたこととか

あの当時、いちばんの情報源はツイッターでした

テレビつけても「ぽぽぽぽ~ん」しかやらなくて不気味だったこととか

しばらくは2階のリビングに布団を持ってきて寝ていたこととか

当時の政権の不手際とか

 

忘れても問題ないこととは別に

決して忘れてはイケないことは

ニッポン列島のどこで起こってもおかしくはない地震

東北の多くの方が亡くなり被災されたという事実だと思います。

 

 

 

 

 

2016年 東北旅行の際に震災遺構を訪れました

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 表現できないような複雑な気持ちになりました

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わたしは自宅で毎日ご先祖にお線香を手向けていますが

そのときに

震災で亡くなった方々全体のご冥福もお祈りしています。

ですので

あしたが特別というわけではありませんが

あしたの3月11日も

いつもと同じように震災で亡くなった方々へ気持ちを向けたいと思います。

いまわたしが生きていられることは

決してアタリマエでないことを忘れないために…

以上、7年前の記憶をたどった*ぽこあぽこ*でした。

 

 

参考までに…

 

flood.firetree.net

 

津波・浸水マップでご自身の生活圏が水没する地域かどうか確認できます。

13メートルで設定してあります。

おそらく20メートルで大丈夫な地域は問題ないかと思われます。

ちなみに…わたしの住む地域は13メートルでアウトです。

 

 

*ぽこ*

 

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