「節分の豆まき」と「悪者にされた神さま」その②

 

今日のひとこと

 

思わず手を伸ばしたくなるキュートさ☆

 

あの角を曲がれば我が家ってところで

ご近所さんの屋根越しに見えた「三日月と金星」が

あまりにも可愛らしくて…

キュンキュンしながらチャリでリンリン帰宅した*ぽこあぽこ*です。こんばんは。

なんなんですかねあのキュートさ。

変わってるかもしれないけど、わたし満月が怖くて苦手なのです。

同じ月なのに三日月は大丈夫なのが不思議。

なんでだろーって考えたことあるんですけど

たぶん三日月くらいの欠け具合がわたしにはちょうどいいのだと思います。

ほら、人間も、ちょっとミステリアスな方に惹かれたりしません?

 

 

 

さて。

今週のお題「わたしの節分」

先日の続きです。

 www.pokoapoko.site

 

あんまり面白い話ではないかもしれないですが

地味ながらも大切なことだよな…って思うのでもう少しだけお付き合いください。

 

今さらだけど節分の意味

「季節を分ける」と書くように節分は年4回ありますが、一般的には「立春」の前日のことを言いますね。

太陽視点の「大晦日」ということです。これから本格的に新年度が動き出します。

「よーいスタート アクション!」みたいな。聞こえないカチンコが鳴らされる感じ?

アジア圏でも春節(しゅんせつ)が祝日であるように、旧暦のお正月にあたる立春は太陽軌道の重要な節目とされています。

「切り替わる」「節を分ける」という意味から

良くない習慣や変えたい問題とはきれいさっぱりおさらばし、新たな目標を立てやすい日でもあります。

ちなみにわたしは節分に向けてプチ断舎離中なのでした

 

節分に豆まきをする習慣は  

「季節の変わり目には邪気(鬼)が生じやすい」と言われることが由来のようです。

そして邪気とは「人間の隠れた内面や思考」を暗示しているとも言えます。

誓いを立てやすい日であると同時に

マイナス思考や嫉妬や攻撃心を持つことがじぶんに還りやすくなる時でもあるので

なるべく気をつけて過ごそうね☆

という日でもあるのかなって思ってる。

なんとなく毎年、あたまの隅っこに置いていることではあるのですが

2019年の節分はとくに大切な日のようが気がしてなりません。

 

豆まきってほんとに意味あるの?

息子が小さな頃は大声張り上げて(母が)「おにわそとー」ってやってたけれど

その頃から豆まき自体に大きな意味があるとは思ってなかったです。

節分という節目を意識させるための行事?みたいな。

でもね、作家の竹田恒泰氏によると「正しい豆まきの仕方」というものがあるようです。

「イベント」としてではなく本気モードの邪気払いってことですね。

 

 【DHC】2019/1/24(木) 有本香×竹田恒泰×居島一平【虎ノ門ニュース】 | DHCテレビ

中盤の「虎ディショナル談話」のコーナーでお話されてます

 

簡単に言ってしまうと「豆」が大事なようで。

豆まきの「豆」ってそもそもは「桃」の代わりなんだそう。

なぜ「桃」なのかは古事記や桃太郎のお話などを絡めて説明されてますが

とにかく、神社で祝詞をあげた「桃の代わりの豆」でないと邪気払いとしてはまったく意味がないんですって。

スーパーで買った炒り豆では「小室圭さんの説明文と同じくらい意味がない」などとブラックなこと言ってます。笑

実際に神社へ行けば祝詞をあげたちゃんとした豆は分けてもらえるとのこと。

これは知らなかった。

もしも

「なんとなく家の中がイヤな感じする」って方は

本気モードの邪気払いにチャレンジするのも良いかもしれません。

炒った豆を自宅の神棚にしばらくあげておくのもアリなんだそうで

我が家は小さいながらもマイ神棚があるのでそれで代用できることになります。

とはいえ

これだけいろいろ書いておいて豆まきはしないと思うのだけど。しないのかよ

 

心強い存在が玄関にスタンバっている 

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伊勢参りのときに注連縄をゲットしました。

これを玄関内の壁にかけているので邪気は入ってこないハズと思い込んでいる。

 

 

隠された願掛け?

「節分」ひとつとっても色々な要素が絡み合ってますね。

真理はいたってシンプルなのに言葉で説明しようとすると複雑になってしまうのと似てます。

そして「桃のはなしはどこ行った?」ってくらいに唐突に本題に入ります。

豆まきの豆って「炒り豆」を使いますよね。

これもやっぱり「鬼の目にぶつけるのに生の豆では効果がない」などと言われてますが

前回記事にした「悪者にされた神さま」を思い出そうと思います。

豆まきに炒り豆(死んだ豆)を使うのは

やっかいな怨霊を封じ込めるためであり、わざと炒って熱で死んだ豆をまき

その死んだ豆から芽が出るまで(芽は永遠に出てきません)

怨霊よ、復活しないでくれ

という「願掛け」が隠されているとも言われているの。とんだサブテーマ

神社建てたり豆まきに願掛けをしたり…恨みによる「怨霊」をどんだけ怖れてるんだ。

ただし

押しこめられた想い(重い)は炒り豆からも芽を出すことが可能だったのかもしれません。

人間の想念がそれほどチカラを持つものだとすれば

ふだんわたしたちの抱く「想い」って侮れないな…と思うのです。

 

まとめ

たとえ豆まきに隠された悲しいサブテーマがあったとしても

節分を意識して過ごすことは大切なことかもしれません。

悪い習慣があれば思い切って切り捨てる

新たな目標をたてる

押しこめられた無念の気持ちを思い出して寄り添う

豆まきをすることで子供に節分という風習を覚えてもらう

恵方巻きが食べたければ食べればよい

断舎離する ←わしのこと

きたる2019年の節分、あなたはどのように過ごしますか?

長々と書いてしまいました。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

 

*ぽこ*

 

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