おばちゃんの家

あらゆることをびぼうろく

スーパーお会計あとに袋詰めする台をどう呼ぶべきか

 

今日のひとこと

 

人間の多面体

  

誰に対してもフランクで誰からも評判の良い人が

じぶんに対しては理由なく冷たいことがあると、逆にその人物が何に対して屈折したものを持っているのかなんとなくわかってしまうことがある。

いつも遊びに行かせていただいてるブロガーさんのお話では

仕事上の先輩の時給を超えてしまったことで人間関係が一時ギクシャクしてしまったのだそう。

たとえこちらに落ち度や原因がなくても相手次第でこういうこともあるのですよね。

 

こちらからは人物の平面しか見えないがために生じるギャップが原因で

厭世的になってしまうことがあるし

その反対に、人間の性善説的な部分を垣間見て「捨てたもんじゃないな」と感じることもあったり

人間が多面体で出来ていることが人間を翻弄している。なかなか面倒です。

 

人の表面を覆う自我は奥深くから自身を静観している真我からしてみたらバカバカしいものに見えるのかもしれないけれど

そこから脱皮しようとする者にとってはこの世はなかなか厳しい世界です。

わたしたち人間は、ほとんどじぶんの意志をいうものを持たずに

環境に流され生きていることを「じぶんの意志」だと勘違いしていながら死んでゆく。

操り人形…なんて思うこともあるけれど

そんな中でも、どこまでじぶんの真我を尊重できるのか、ギリギリを試しているのでしょう。

   

 

 

さて。

現実に戻ります。笑

生きてゆくためにはリアリストにならねばなりません。

さいきん息子が一時帰宅しているせいで食材の減りが早いし

ヨシケイも3人分となるとお値段もアップしてしまうのであまり利用したくない。

必然的にスーパーへ足が向かう頻度が高くなるきょうこの頃。

  

スーパーマーケットって…地域の民度がわかってしまう場所でもあると思うのですね。

乳製品の陳列棚にお菓子がポンと置かれていたり(もとに戻しましょう)

レジ待ちの列が通路を塞いでいたり(スペース空けましょう)

なんかそういうのあまり見かけたくないし

なるべく通路の広い、雰囲気の良いスーパーを、動線を考えて15分以内でシャーーーっと駆け抜けたい。こら、走ったらダメ!

そしてもうひとつのポイントが

 

買い物したものを袋詰めする台

 

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これなくして買いものはコンプリートできず。とっても大事な存在。

ひとりでマイペースに袋詰めをしたいがために

誰も使っていない台を目指して、あえて出口からいちばん離れているレジに並んでしまう。

そしてもうひとつ

今回これを記事にすることで、この「台」のことをどう表現すればいいか考えてしまった。

「買ったものを袋詰めする台」って…

何か呼び方があるんだろうか?と思って調べてみると

 

サッカー台  (へ?)

 

ですって。ご存知でしたか?

聞いたことないのですが。お店で働いている方は使ってるのでしょうか。

わたしだけ知っていてもしょうがないので

たぶんこれからも「買ったものを袋詰めする台」と呼ぶでしょうね。

というか「台」で。

 

スーパーマーケットって、民度を計る怖ろしいだけの存在ではなくて

生活に欠かせないとっても大切でありがたい場所ですね。

働いている方々に感謝。

色々なお客さんを見ているでしょう。

きっといろいろ言いたいことあるでしょうけど、いつも笑顔で働いてくださってありがとうございます。って感じです。

 

  

 *ぽこ*

  

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